2025-06-28 The Criticの記事、イギリスへの移民ではなくイギリスからの移住が近代世界を築いた について以下に要約します。

この記事は、2025年にキア・スターマー英首相が「ウィンドラッシュ世代が現代イギリスの礎を築いた」と述べたことに対し、異論を唱える内容です。筆者は、そのような主張は歴史的事実を歪めており、過去の英国民の功績を過小評価していると批判しています。

1948年にカリブ海諸国からの移民を乗せた「エンパイア・ウィンドラッシュ号」の到着は、ウィンドラッシュ世代の始まりを象徴しています。彼らが戦後の労働力や文化的貢献などでイギリス社会に重要な役割を果たしたことは確かですが、「現代イギリスの基盤を築いた」とまで言うのは過剰であり、政治的に利用された象徴にすぎないと筆者は主張します。

記事は、ウィンドラッシュ以前のイギリスには既に鉄道、議会制度、NHS、世界的な金融市場などのインフラが整っていたと指摘します。そして、数世紀にわたって数百万人のイギリス人が海外に移住し、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカなどで都市や制度を一から築き上げてきた歴史を強調します。彼らは単なる移民ではなく、現地にイギリス的な制度や文化を根付かせ、現代世界に大きな影響を与えた存在だというのです。

筆者は、イギリスが自国の過去を「心地よい物語」として再解釈し、帝国や拡張主義の歴史を避けていると批判します。ウィンドラッシュ世代の物語は重要だが、イギリスからの「移住(emigration)」の歴史もまた国の形成に深く関与していたことを忘れてはならないと主張しています。

結論として、現代イギリスの「基盤」は1948年ではなく、それ以前の数世紀にわたって、世界中でイギリス人が築き上げてきたものにあると筆者は訴えています。移民の貢献を認めつつも、物語の「もう一方の側面」を忘れてはならないというのが本稿の核心です。

EmigrationとImmigrationの違いとは

現代社会における国際的な人の移動は、ますます活発化しています。この流れの中で、私たちはしばしば「移民(immigration)」という言葉に触れる機会があります。しかし、この「移民」に対して否定的、あるいは警戒心を抱く人々も少なくありません。彼らの多くは、文化の変化や治安、経済的な競争の激化などに不安を抱き、「移民が増えすぎると日本のアイデンティティが失われるのではないか」と感じています。

こうした不安を理解することは重要ですが、一方で、私たちは「移民」という現象を単なる「流入」だけでなく、もっと広い文脈で捉え直す必要があります。そこでまず、「emigration(エミグレーション)」と「immigration(イミグレーション)」の違いを明確にしておきましょう。

  • Emigration(エミグレーション)とは、「ある国から出ていくこと」、つまり出国・移住を意味します。
  • 一方、Immigration(イミグレーション)は、「他国から自国に入ってくること」、つまり入国・受け入れを指します。

つまり、「Aさんが日本からアメリカに渡った」とき、日本の立場から見ればAさんはemigrant(移住者)であり、アメリカから見ればimmigrant(移民)ということになります。言葉は違っても、同じ人の動きにすぎません。視点が変われば意味が変わるのです。

日本人も「移民」だった

ここで私たち自身の歴史を振り返ってみましょう。日本人はこれまで、数多くの人々が海外に移住し、さまざまな形で現地社会に貢献してきました。

たとえば明治から昭和初期にかけて、多くの日本人がブラジル、ペルー、アメリカ、カナダ、ハワイなどに渡りました。特にブラジルでは日系移民が農業を中心に地域経済の発展に寄与し、現在では日系ブラジル人が約200万人に上ります。彼らは現地の社会に根を下ろしながらも、日本文化や価値観を大切にし、「現地社会に貢献する移民」として信頼を築いてきました

また、第二次世界大戦後には、技術者や看護師、研究者、ビジネスマンといった多くの日本人が海外に渡り、現地の産業・教育・医療の発展に寄与しています。これもまた「emigration(出ていく)」の一形態です。

つまり、日本人もまた「移民」だったのです。

なぜ共生が必要なのか?

この歴史を踏まえると、「自分たちが移民だった」経験を持つ日本人こそ、移民と共生することの価値や意義を理解しやすい立場にあるはずです。

移民が現地にとって「負担」か「財産」かは、どのように受け入れるか、そしてどう関係を築くかに大きく左右されます。日本でも、外国人労働者や技能実習生が地域社会に定着し、介護、建設、農業、ITなどさまざまな分野で活躍しています。彼らがいなければ成り立たない産業も増えてきています。

しかし一方で、言葉や文化の違いから孤立し、トラブルが生じる例もあります。ここで求められるのが「共生」という姿勢です。共生とは、ただ「住まわせる」ことではなく、共に学び、共に働き、互いの価値を認め合いながら生きていく社会のことです。

共生は、移民の側だけでなく、受け入れる側の努力や想像力が不可欠です。「彼らが日本に順応すべきだ」と突き放すのではなく、「どうすれば互いに安心して暮らせるか」という視点に立ちましょう。

共生の恩恵は移民だけのものではない

多文化共生は、移民のためだけの政策ではありません。それは、社会全体にとっての強靭性と豊かさを育てる礎となります。異なる背景を持つ人々が共に暮らすことによって、新しいアイデアや価値観が生まれ、創造的な社会が育ちます。

例えば、日本の食文化にはすでに多くの「移民の痕跡」があります。ラーメン、カレー、パン、タコスなど、今では日常食となっている多くの料理が、海外との文化交流から生まれたものです。文化は混ざり合うことで成熟し、社会もまた多様性によって進化していくのです。

また、人口減少が進む日本にとって、外国人労働者の存在は労働力の補完だけでなく、新しい家族・地域社会の担い手としての期待も大きいです。彼らが安心して暮らし、子どもを育て、納税し、地域に貢献することで、日本全体が活性化されます。

歴史を踏まえた「両側の物語」を語ろう

多くの移民反対論者は「自国文化が脅かされる」と感じています。しかし、文化とは一方的に「守る」ものではなく、育て、更新していくものです。

かつて海外に出て、現地に貢献した日本人がいたように、今やってくる移民たちもまた、未来の日本を支える存在となり得ます。私たちは彼らを「異物」としてではなく、「未来の仲間」として迎える視点を持つべきです。

そしてそのためには、「日本人もかつては移民だった」という歴史を忘れてはなりません。出ていった者(emigrant)としての視点と、迎え入れる者(immigrant)としての責任を両方理解することが、健全な共生社会への第一歩です。


結びに

日本がこれからも世界の中で尊敬され、信頼される国であり続けるためには、閉ざすのではなく、開かれた姿勢を持つことが必要です。もちろん無秩序な受け入れではなく、制度や教育、対話を通じた持続可能な共生モデルの構築が求められます。

私たちの祖先が海外で築いた誇りある歴史を胸に、これから日本に来る人々とも、共に生きる未来を育んでいきましょう。

在留・入管関連ニュース

投稿者: kenjin

行政書士の西山健二と申します。 外国人の方々が日本で働き、暮らすために必要な在留資格の各種申請手続を支援します。