この投稿は、Elon大学教授ローズマリー・ハスケル著「Migrants, Hostages and Lessons of Hospitality from the Ancient World」(2025年8月14日配信)をもとに、日本の文脈で考えられる示唆を整理したものです。

1. 古典文学に刻まれた「もてなし」の視点

この記事では、ホメロスの『オデュッセイア』と『イーリアス』に描かれた「もてなし(ホスピタリティ)」の場面が対照的に紹介されています。

  • 『オデュッセイア』では、オデュッセウスが旅先で様々な「宿主(ホスト)」に迎えられます。しかしそのもてなしは好意的なものばかりではありません。サーカの魔女による「客を豚に変える」仕打ち、カリュプソの過度な囲い込み、ポリュペーモスによる危害、さらには真の無償のもてなしの象徴ともいえるアルキノオス王による歓迎など、多様な形が描写されます。
  • 『イーリアス』終盤では、トロイの老王プリアモスが、息子ヘクトールの遺体の返還を求めて剣を携えて敵のアキレスの元に赴きますが、彼はもてなしを受け、遺体が返され、12日間の戦闘停止まで与えられます。この場面は、慈悲と情のもてなしが、敵対関係の中にあっても人間関係を超えた共感を生むことを示しています。

また、フランスの哲学者ジャック・デリダが指摘するように、ホスピタリティには「hostipitality(もてなしと敵意の共存)」という逆説が含まれます。つまり、もてなしを示す側には期待や条件があり、見返り以前の信頼関係の構築が不可欠であるという示唆です。


2. 日本への示唆:条件付きホスピタリティと相互性

2-1. 「条件付き」の歓迎では本質的な共生には至らない

日本では、移民や技能実習生、留学生に対する受け入れは一定条件が付されるのが現状です。身元保証、在留資格の厳格な管理、言語要件、定住の制限など、まるでアキレスのように「良い客」であることを求められています。これは純粋な歓迎ではなく、ある種の「管理されたもてなし」にとどまっています。

2-2. 相互の利益と「もてなしの両義性」

古典が示すように、もてなし側にも期待や狙いがありますが、その関係は一方的ではなく、「もてなされる側」も「もてなす側」に変える力を持ちうることが重要です。日本社会でも、移民や留学生が地域社会や産業、文化に貢献することで、「社会の側」がより寛容で開かれた対応を取りやすくなるという相互利益的視点が求められます。


3. 日本の課題と改善の方向性

3-1. 法制度:柔軟性の確保と人道的配慮の両立

日本の移民・難民政策は厳格かつ条件付きであることが多く、プリアモスのような「情に訴える」状況に対応しづらい制度構造です。困窮や緊急性を伴う移民や避難民に対して、人道的救済と社会的ルールを両立させる仕組みづくりが不可欠です。

3-2. 社会的受容:移民を「客」と見るのではなく「共生の主体」と見る枠組みへ

受け入れ側意識から「客」として扱う限り、深い理解や共感は生まれません。教育やコミュニティ活動を通じて移民が「この社会の一員」として参加し、その存在が地域社会の豊かさや創造力を高める存在であるという認識を広げる必要があります。

3-3. 相互交流の場づくり

古代のもてなしでは、酒を酌み交わす食事の場などが信頼構築を促しました。現代日本でも、地域交流、言語サークル、学校や職場での共同プロジェクトなど、移民と日本人が共に良い「客」となりうる場づくりが重要です。


4. 期待される効果と未来像

  1. 多様性と革新をもたらす社会 移民の文化的、技能的貢献により、日本社会に新たな視点やイノベーションが生まれやすくなる。
  2. 制度と人心の両面での信頼醸成 透明かつ柔軟な制度運営と、共感に基づく社会的受容の両輪が、持続可能な共生社会の基盤を築く。
  3. 国際的評価と責任の遂行 弱者や難民への慈悲と対応を示すことは、グローバル社会における日本の信頼を高めるうえでも価値ある行動です。

5. 結びにかえて

Elon大学で紹介された古代のホスピタリティの物語には、“もてなす側”と“もてなされる側”の関係は相互的かつ不確定であり得るという深い洞察が宿っています。日本も、移民や難民を「良い客」として迎えるだけでなく、彼らが社会を豊かにする「共にもてなす主体」として存在しうることを認め、関係を再構築すべきです。

真の意味での共生とは、条件付きの「もてなし」ではなく、二者が互いに与え合い、生きる価値を高め合うホスピタリティの回路を社会に組み込むことにあるでしょう。

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投稿者: kenjin

行政書士の西山健二と申します。 外国人の方々が日本で働き、暮らすために必要な在留資格の各種申請手続を支援します。