現代ビジネスの記事は、ロヒンギャの男性キンマウンソー氏のケースを通じて、難民認定や無国籍問題が「認定の可否」だけで終わらない現実を描いています。複数回の不認定、送還の切迫、心身の不調、家族分断の危機を経て提訴に踏み切り、控訴審で難民と認められた一方、認定後も「国籍」の壁が残り続ける――という構図です。ここに、制度の難しさが凝縮されています。

難民認定は“入口”であって“解決”ではない

難民認定が下りることは、当事者にとって大きな救済です。就労が可能になり、生活の見通しが立ち、家族と離ればなれになる危機を回避できる。それでも、認定が「すべてを解決する魔法」ではないことは、実務を見ていると明らかです。
在留の安定は確保できても、身分関係の証明、書類の取得、将来の選択肢(教育・転職・転居・海外渡航・婚姻など)を支える土台が弱いまま残ることがある。とりわけ無国籍の場合、「母国の制度に接続する」という通常のルートが最初から機能しにくく、日常の手続きの場面で“国籍を前提にした仕組み”が壁として立ち上がります。

無国籍の核心:国籍がないと、家族の未来が詰まっていく

記事の後半で印象的なのは、「子どもに国籍を得させる」ことが極めて難しいという点です。通常は、出生届→大使館・領事館手続→親の登録情報と照合→国籍付与、という流れが想定されています。しかしロヒンギャの場合、ミャンマー政府が国民登録をしていないため照合が成立しない。結果として、子どもに国籍が付かず、無国籍状態が連鎖しかねない。
さらに、軍事政権下の政策や政治状況の変化により、ロヒンギャに限らず“事実上の無国籍”に近い状態へ追い込まれる人が出うる、という指摘も示唆的です。ここでは、無国籍が「本人の問題」ではなく、国家の政治と制度が生み出す構造的問題だということが浮かび上がります。

退去強制事由と「送還先がない」究極問題

そして、私が最も難しいと感じたのは、無国籍者について退去強制事由に相当する犯罪などが生じた場合です。一般に、重大な違法行為があれば在留の継続は難しくなり、退去強制が検討されます。しかし無国籍者はここで、制度の根本に穴を開ける問いを突きつけます。
送還しようにも「送還先」がない。受入国がない、渡航文書が確保できない、入国許可が下りない――このいずれかで止まれば、退去強制は「決定」できても「実行」できません。国家の秩序維持の観点から見ても、これは非常に厄介です。刑事処分や社会内での再統合支援など、別の出口を設計しなければ、問題が宙に浮き続けます。

「難民認定でも同じ」だと思う理由

この“送還不能”の論点は、無国籍者だけの特殊問題ではなく、難民認定者にも本質的に通じると感じました。母国がある人でも、迫害のおそれがあり、人道上「送還すべきでない」と国家が判断したのなら、犯罪があったからといって簡単に送還へ振り切ることはできません。
つまり、難民認定とは「守る」と決めることであり、その決定は同時に、送還しない責任を背負うことでもあります。ここを直視しないと、「犯罪者だから送還」という直感的処理と、「人道上送還できない」という原則が衝突し、制度が破綻します。難民認定は、理念だけでなく、治安・福祉・司法・地域社会の受け皿まで含めた“統治の設計”を必要とする、極めて重い判断だと思います。

終わりに:制度の成熟は「認定後」をどこまで設計できるか

難民認定が下りたこと自体は救いです。しかし無国籍は、その後の人生の選択肢を静かに削っていく。国籍の付与・確認のルートが閉ざされることで、教育、就労、婚姻、海外移動など、当たり前の将来設計が不安定になります。
だからこそ、難民認定や無国籍者保護を議論するなら、「認定するかどうか」だけでなく、「認定後にどう守り、どう社会につなぎ、万一の逸脱が起きたときにどう出口を用意するか」まで含めて考えなければならない。記事を読んで、難民認定がいかに難しい問題か――その“難しさの本体”は、まさにここにあると強く感じました。

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投稿者: kenjin

行政書士の西山健二と申します。 外国人の方々が日本で働き、暮らすために必要な在留資格の各種申請手続を支援します。