
取材記事に約2000件のコメントが寄せられた
先日、外国人政策の厳格化を扱ったFridayデジタルの取材を受けた。在留資格「経営・管理」の要件厳格化や在留手続の手数料引上げなどについて、私は、現在の政策が短期的な世論への対応に傾きすぎており、制度の実効性や中長期的な影響を十分に考える必要があるとの趣旨の意見を述べた。
記事(ビザ厳格化で「もう日本はムリ」…真面目な外国人を追い出し中国資本がすり抜ける「理不尽」)がYahoo!ニュースに掲載されると、コメント数は約2000件に達した。私の意見に賛同するコメントもあったが、おすすめ順で上位に表示されたコメントを読んでみると、むしろ外国人政策の厳格化を支持する意見が目立った。
もちろん、Yahoo!ニュースのコメント欄は世論調査ではない。おすすめ順の上位30件だけをもって日本社会全体の意見を代表させることもできない。しかし、これだけ多くの人がこの記事に反応し、何千もの「共感」が集まった事実は軽視できない。そこには現在の外国人政策を考えるうえで重要なものが表れているように思う。
「なぜ厳しくなったのかを考えるべきだ」という声
コメントを読んでいて最も強く感じたのは、「厳格化には理由がある」という認識である。「これまでの制度が緩すぎた」「在留資格が移住目的に悪用されてきた」「ペーパーカンパニーを排除するためには厳格化が必要だ」といった意見が繰り返し現れる。
中には「外国人受入れは慈善事業ではない」「まず守るべきは日本国民である」という意見もある。また、外国人を雇用している企業からは、技能実習生や特定技能外国人のために日本語学習への報奨金を設け、担当者を配置するなど相当のコストを負担しており、「外国人を雇う企業がすべて悪質であるかのような議論も違う」という指摘もあった。
これらを単純に「排外主義」と分類してしまえば、現在起きていることの本質を見失う。
「500万円で不正があったなら3000万円は当然」なのか
私自身の発言に対する興味深い批判もあった。記事の中で私は、資本金500万円の要件でも、いわゆる「見せ金」を用意して会社を設立するケースが存在したと指摘した。それに対して、「従来制度が不正の温床だったことを自ら認めている。それなら審査が厳格化されるのは当然ではないか」という趣旨のコメントが寄せられた。
もっともな疑問である。
しかし、私が問題にしているのは、厳格化すること自体ではない。不正な在留目的で設立された会社や、実際には経営活動を行っていない会社を厳しく審査することには異論はない。
問題は、500万円で見せ金を作る者が存在したから、金額を3000万円にすれば問題が解決するのか、ということである。資金を形式的に用意することのできる者による制度の悪用を防ぐために資本金額を引き上げるのであれば、資金力のある不正利用者には突破される一方、長年日本で実際に店を経営し、納税し、地域社会の一員となってきた小規模事業者が退出を迫られる可能性がある。
必要なのは「厳しくするか、緩くするか」という議論ではない。規制の目的と、そのために選択された手段が本当に対応しているのかという検証である。
「では、どうすれば悪質な人を排除できるのか」
今回のコメントの中で、私が最も重要だと感じた問いがある。「では、どうすれば悪質な人たちを排除できるのでしょうか」というものである。
まさにここを議論しなければならない。
会社が存在するか、3000万円があるかという形式だけではなく、事業の継続性、実際の取引、売上げ、納税、雇用、事業所、経営者本人の活動実態などを継続的に確認する。悪質な仲介、名義貸し、虚偽申請などについては重点的に調査する。一方、適正に事業を続けている者については、その実績を評価する。このような実態に基づく在留管理こそ、本来目指すべき方向ではないだろうか。
個別審査には行政コストがかかるという反論もある。これも正しい。しかし、行政コストを抑えるために単純な形式基準だけで線を引けば、誤って排除される者が生じる。デジタル化や行政機関間の情報連携を進め、実態把握のコストを下げることも含めて制度を設計する必要がある。
日本人側にも「不信」が存在している
30件のコメントを読んで、もう一つ強く感じたことがある。記事では、政策の急激な変更によって外国人の間に日本政府への不信が生じていることが描かれていた。しかしコメント欄を見ると、その反対側にも巨大な不信が存在する。
外国人は本当に税や社会保険料を適正に負担しているのか。在留資格は適正に使われているのか。社会保障制度を不当に利用していないか。犯罪や地域社会との摩擦を十分に取り締まっているのか。政府はこれまで外国人を無秩序に受け入れてきたのではないか。
個々の主張には、事実確認が必要なものや、外国人一般に当てはめることのできないものも含まれている。しかし重要なのは、それらを信じる人が存在するという社会的事実である。
制度への信頼は「それは誤解です」と言うだけでは回復しない。何が事実で、何が事実ではないのかを政府がデータによって示し、不正があれば確実に是正し、適正に暮らしている人については適正であることが分かる仕組みを作る必要がある。
同じ政策が、一方には「信頼回復」、他方には「信頼破壊」と映る
ここに現在の外国人政策の難しさがある。
在留資格の悪用が放置されてきたと感じている日本人にとって、厳格化は「ようやく政府が動いた」という信頼回復として映る。一方、これまでのルールを守り、日本で事業や生活を築いてきた外国人にとって、突然大きく基準を変更されることは「梯子を外された」という信頼破壊として映る。
双方が、自分たちこそ制度によって不利益を受けてきたと感じているのである。
だからこそ、外国人政策を「外国人に優しくするか、日本人を守るか」という二者択一にしてはならない。日本人が制度を信頼できることと、適正に在留する外国人が制度を信頼できることは、本来対立する目標ではない。
「真面目な外国人」という言葉だけでは届かない
今回のコメントを読んで、私自身も考えさせられた。「真面目に働いてきた外国人まで排除される」という説明だけでは、厳格化を支持する人には十分に届かないのである。
彼らが知りたいのは、「誰が真面目なのかをどう判定するのか」「不正をした人をどう排除するのか」「日本社会にどのような利益と負担があるのか」である。
これは排除すべき問いではない。むしろ外国人を安定的に受け入れていくのであれば、正面から答えなければならない問いである。
同時に、「外国人だから社会保障を悪用する」「外国人だから犯罪を起こす」といった属性による一般化も避けなければならない。必要なのは国籍による推測ではなく、行為と事実に基づく制度運用である。
共生とは「緩くすること」ではない
私が提唱している「均衡共生モデル」は、外国人の受入れを無条件に拡大しようという考え方ではない。違法行為や制度の悪用には厳正に対応する。その一方で、適正に生活し、働き、事業を行っている人については、制度変更の予測可能性を確保し、公平に扱う。
管理と受入れ、国益と外国人の権利、行政効率と個別事情。これらのどちらか一方を絶対視するのではなく、対立する価値を制度の中で調整する。それが「均衡」の意味である。
約2000件ものコメントが寄せられたこと自体、外国人政策に対して日本社会が強い関心と不安を抱いていることを示している。そしてコメントを読んで私が感じたのは、そこにあるのは単純な「日本人対外国人」という対立ではなく、もっと深い「相互不信」ではないか、ということである。
外国人が日本の制度を信頼できない。日本人も外国人をめぐる制度を信頼できない。そして双方が政府の制度運用に疑問を抱いている。
この状態で必要なのは、どちらかの不信だけを正しいものとして扱うことではない。双方の不信がなぜ生まれたのかを一つずつ検証し、透明で、一貫し、予測可能で、そして不正には実効的に対応できる制度を作ることである。
共生は、外国人に優しくすることでも、日本人に我慢を求めることでもない。互いに制度を信頼できる状態を作ることである。