「我々の価値」はどこから来るのか
移民政策において、「我々の価値」や「生活様式」といった言葉はしばしば前提として用いられる。
それらは説明されることなく正当なものとされ、共有されるべきものとして提示される。
しかし、ここには一つの重要な前提が潜んでいる。
それは、「自国の価値は正しい」という前提である。
この前提は明示されることは少ないが、政策の基盤として強く作用している。
そしてこの前提こそが、制度設計上の問題を生み出す出発点となっている。
抽象的価値言語の構造
移民政策では、次のような表現が繰り返し用いられている。
- 我々の価値(our values)
- リベラルな価値(liberal values)
- 価値の共有(shared values)
- 統合(integration)
- 社会的一体性(social cohesion)
- 生活様式(way of life)
例えば、Quilletteにおける「オーストラリア的生活様式(the Australian way of life)」をめぐる議論も、この延長線上に位置付けられる。
これらはいずれも重要な概念であるが、共通の特徴を持つ。
それは、抽象的であり、かつ判断基準を内包していないという点である。
「是」としての価値がもたらすもの
これらの価値言語が問題となるのは、それ自体の内容ではない。
それが「是」として前提化される点にある。
すなわち、
- 何が正しいのかはすでに決まっており
- それに適合するかどうかが問われる
という構造である。
このとき、制度は次のように機能する。
- 価値に適合する者は受け入れられ
- 適合しないと判断された者は排除される
しかし、その判断基準は明確に示されない。
結果として、「正しさ」は制度の外部に置かれたまま、判断だけが制度内部で行われることになる。
なぜ制度として機能しないのか
制度として機能するためには、
- 判断基準の明確性
- 判断の一貫性
- 結果の予測可能性
が必要である。
しかし、「是」として前提化された価値は、これらを満たさない。
なぜなら、「何が正しいか」が制度の外に置かれているため、それを制度内で検証することができないからである。
その結果、
基準は曖昧となり、判断は恣意的となり、結果は予測不能となる。
これは、不信を生み出す制度構造そのものである。
価値の要求はなぜ排除になるのか
価値を共有しているかを問う政策は、一見すると統合を促進するように見える。
しかし実際には、それは「適合性の審査」として機能する。
そして、その審査は制度ではなく、判断者の解釈に依存する。
このとき、
- なぜその人が適合していないのか
- なぜその判断に至ったのか
が説明されないまま結論だけが示される。
その結果、制度は正当性を失い、排除の装置へと変質する。
問うべきは価値ではなく構造である
ここで重要なのは、価値を否定することではない。
問題は、「価値を前提として用いること」にある。
すなわち、
- 自国の価値を「是」として固定し
- それへの適合を求める
という構造そのものが問題である。
この構造の下では、制度は説明可能性を持ち得ない。
価値は制度に翻訳されなければならない
価値は、そのまま要求されるべきものではない。
それは制度として翻訳されなければならない。
例えば、
- 法令遵守という形でのルール化
- 契約履行という形での責務の明確化
- 教育や言語機会の提供という形でのインフラ整備
といった形で具体化されるとき、初めて制度として機能する。
このとき初めて、「正しさ」は制度内部に位置付けられる。
統合とは価値ではなく制度への参加である
統合とは、価値の一致ではない。
統合とは、制度への参加によって成立する。
価値を共有しているかどうかではなく、
- 制度に参加しているか
- その条件が満たされているか
が問われるべきである。
その結果として、社会の一体性が生まれる。
「管理」と「価値」は同じ構造を持つ
「管理」中心の政策は、行動を統制する。
「価値」中心の政策は、内面への適合を求める。
しかし両者は共通している。
それは、「是」を前提として、それを外部から強制する構造である。
この構造の下では、制度は説明可能性を失い、不信を増幅させる。
必要なのは前提ではなく設計である
移民政策において問われるべきは、「何が正しいか」ではない。
問われるべきは、
- どのような制度を設計するのか
- どのような条件を適用するのか
- それをどのように担保するのか
である。
価値は前提とされるものではない。
それは制度として設計されるべきものである。
※本投稿は、均衡共生モデルにおける目次を構成する章に位置付けています。