移民政策をめぐる議論は、近年ますます感情的になっている。開くか閉じるか、受け入れるか拒むか。その二項対立の言葉が飛び交い、冷静な議論が成立しにくい空気を感じる。
私が危機感を覚えるのは、身近な人々がネットやテレビの報道に触れた直後、急速にその論調に染まっていく姿である。排外的なニュースであれ、過度に理想化された成功談であれ、人や集団に対する評価は本来、実体験に基づいて形成されるべきではないだろうか。印象が先に立ち、原理が語られないとき、社会は容易に揺らぐ。
しかし問題は、世論の側だけにあるのではない。
入管実務に日々携わる者として感じるのは、制度そのものよりも、その運用を貫く方向性の不明確さである。たとえば、在留資格に該当しない活動を三か月以上継続すれば取消対象となる一方で、みなし再入国制度では一年間の出国が可能とされている。この設計の背後には合理性があるはずだが、その原理が十分に語られているとは言い難い。
私は、日本の入管制度自体はよくできていると考えている。法律条文だけでなく、上陸許可基準を通じて時代状況に応じた柔軟な調整を可能とする仕組みを備えているからである。問題は制度の存在ではない。国家が、どの原理に基づいて調整しているのかを一貫して示していない点にある。
方向性が語られないとき、社会は印象に流れ、現場は萎縮し、外国人当事者は将来予測を失う。
そこで私は、「均衡共生モデル」という規範的枠組みを提示した。これは受入れ拡大を主張するものでも、排除を正当化するものでもない。国家の持続可能性、法秩序、社会的信頼、経済合理性、そして個人の尊厳を同時に成立させるための「秩序ある調整」を目指す方向性である。
昨日、このモデルを英語で先に公表した。日本の議論に閉じるのではなく、世界的な移民政策の文脈の中で位置づけたかったからである。人口減少社会における移民政策は、日本固有の問題ではない。むしろ先行的課題である。
均衡共生モデルは完成形を定めるものではない。理想は方向としてのみ存在し、試行錯誤を前提とする。ただし、原理なき揺らぎを放置することはできない。必要なのは、国家としての規範的一貫性である。
移民政策は、感情でも迎合でもなく、品格をもって語られるべきだと私は考える。