今回参照するのは、The Conversationの
English lessons shouldn’t be an immigration test – why the UK’s new policy risks deepening exclusion という記事です。

この記事が投げかける問いは、とてもシンプルです。
「英語学習が社会への“橋”ではなく、落ちるかもしれない“所属のテスト”になったら、何が起きるのか?」
英国政府は、統合(integration)や就労準備を掲げ、英語要件を多くのビザ制度で引き上げ、試験基準を厳格化し、免除も減らす方向を示しています。しかし記事は、それがむしろ逆効果になり、英語教育(ESOL)が包摂ではなく、監視や排除の道具になりうると警告します。

この問題提起は、日本にとっても「対岸の火事」ではありません。日本でも「日本語能力」と「共生・定着」をどう結びつけるかは、今後ますます重要になります。だからこそ、英国の議論から“やってはいけない設計”と“先に整えるべき土台”を読み取っておく価値があります。


言語は人をつなぐ道具ですが、同時に分断にも使われます

記事は、言語が生活の基盤であることを前提にしています。人間関係を築き、仕事を見つけ、地域に参加し、民主主義に関与するうえで、言語は大切です。一方で、言語は「分ける」ためにも使われてしまう、とも述べています。

本来、非母語話者にとっての語学学習は、日常生活を回し、自分を表現し、「ここにいていい」と感じるための支援でした。ところが、政策が言語を「所属の証明」として、測定し、監視し、段階的にチェックしていく形にすると、学びは急に息苦しくなります。学ぶことが、前向きな自己投資ではなく「コンプライアンス(順守)」になってしまうからです。


「10年で段階的に上達」を要件にすると、弱い立場ほど不利になります

記事によれば、英国の案では、定住や市民権を目指す人に対し、10年の期間で初級から中上級へ“段階的な進歩”を求め、それを就労や市民参加と合わせて追跡する構想が語られています。

しかし、言語習得は「一直線」ではありません。トラウマ、健康状態、介護・育児、労働時間、学習歴などに左右されます。特に難民など、避難や学習の中断を経験した人にとって、毎年きれいに伸びることを“テストで証明”するのは、現実的でない場合があります。記事は、そのような期待が懲罰的に働きうると指摘しています。

日本でも同じです。もし将来、日本語要件を「長期在留」「永住」「家族帯同」などと強く結びつけ、段階的に求める方向へ進むなら、まず問うべきは「学べる条件が整っているか」です。学びたくても、仕事が忙しい、家庭の事情がある、近くに教室がない、通学が難しい――そうした要因は本人の努力だけで解決できません。制度は、そこを見ないふりをしがちです。


言語能力が「努力」や「道徳」の評価にすり替わるのが一番危険です

記事の中で特に印象的なのは、言語の合否が、いつの間にか「人格評価」になってしまう危険です。
合格=頑張っている、真面目、ふさわしい。
不合格=怠けている、努力不足、ふさわしくない。
そして、流暢さが「国へのコミット」や「忠誠」と結びつき、低い能力は「抵抗」とみなされる――記事は、こうした道徳化・政治化を強く問題視しています。

日本でも、「日本語ができない=ルールを守らない」「日本語が上手=良い外国人」のような短絡が広がれば、共生の議論はすぐに歪みます。言語は確かに大事ですが、言語力は“善悪”や“価値”を測る物差しではありません。制度側がこの線引きを明確に持たないと、言語政策は簡単に排除装置へ変わってしまいます。


出席・点数・進捗が「監視データ」になると、教育は壊れます

記事は、出席や試験結果、進捗目標が、学びの支援ではなく「監視のデータ点」になる危険を述べています。そうなると、教室は対話や自信回復の場ではなく、数字を作る場になり、教師は「指標のために教える」圧力を受けます。

日本でも、行政や企業がKPIを置く場面は増えています。もちろん、税金や予算の説明責任は必要です。ただ、測りやすい指標が中心になるほど、「本当に必要な支援」(相談できる安心感、地域とのつながり、生活上の困りごと解消)が後景に追いやられます。統合は、恐怖で設計できません。記事が言う通り、排除の脅しは、学習意欲も参加意欲も削ってしまいます。


現実と噛み合わない政策:学習機会が不足しているのに要件だけ重くなる

記事は実務面でも、ESOLの供給がすでに資金不足で地域差があり、周縁化された学習者を支えるコミュニティやボランティアが、限られた資源で「ハイリスクな成果」を求められていると指摘します。そのうえで、女性、難民、地方の学習者に必要な支援(保育、交通、アクセス)や、教師の研修・待遇へのコミットが見当たらない、と批判しています。

日本で言えば、「日本語要件を語るなら、同時に学習のインフラを整える」ことが不可欠です。保育や時間確保、オンライン環境、学費負担、地域差の是正――こうした土台なしに要件だけ強化すれば、制度は支援ではなく制裁になります。


日本への示唆:日本語政策は「扉を開く」方向で設計しましょう

記事は最後に、言語は人をつなぐものであり、滞在の権利を“取り締まる”ための道具にしてはいけない、と述べます。また、統合は「二方向のプロセス」であり、受け入れ側の社会にも学びが必要だと強調します。

日本への示唆を、現実的な言葉に直すと次の通りです。

  • 要件化の前に、学べる条件を整える(アクセス・時間・保育・オンライン)
  • 評価は“実生活のコミュニケーション”を中心にし、抽象的ベンチマークだけにしない
  • 行政側の多言語・やさしい日本語・通訳など、受け手側の改善も同時に進める
  • 受入れ側(職場・地域)にも責任と学びがある、という前提を制度に埋め込む

言語政策は、扉を開くためにあります。もし言語が「国境」になってしまえば、そこで失われるのは、個人の機会だけではありません。社会の信頼や、包摂、参加といった民主的価値そのものが、静かに削れていきます。だからこそ、日本は「橋を増やす」方向で、日本語支援を設計していくべきではないでしょうか。

在留・入管関連ニュース

投稿者: kenjin

行政書士の西山健二と申します。 外国人の方々が日本で働き、暮らすために必要な在留資格の各種申請手続を支援します。