1. 問い
入管制度における裁量は、どのように扱われるべきか。
裁量はしばしば問題として語られる。
恣意性、不公平、不一致の原因とされるからである。
しかし、裁量を完全に排除することは現実的でも望ましくもない。
個別事情を扱う以上、一定の柔軟性は不可欠である。
問うべきは、裁量の有無ではない。
それが不信を生まないよう、どのように構造化されているかである。
2. 裁量とは何か
本モデルにおいて、裁量は次のように定義される。
裁量とは、固定的な基準を超えて規範を解釈・適用することが許容される判断領域である。
制度があらゆる事案を事前に規定することはできない。
したがって裁量は、制度の欠陥ではなく、
機能する制度に不可欠な要素である。
3. 問題の所在:構造化されていない裁量
問題は裁量そのものではない。
それが構造化されていないことである。
構造化されていない裁量は、次の結果を生む。
- 不透明性(なぜその判断がなされたのか分からない)
- 非一貫性(同様の事案で結果が異なる)
- 非予測可能性(将来の見通しが立たない)
これは第8章で示した不信の条件そのものである。
したがって、
裁量が不信を生むのではない。
構造化されていない裁量が不信を生むのである。
4. 統制の必要性
裁量を排除できない以上、それは統制されなければならない。
ここでいう統制とは、柔軟性の否定ではない。
裁量の行使を可視化し、境界づけることである。
重要なのは、結果の統制ではなく、
判断過程の統制である。
5. 裁量の構造化
裁量が不信を生まないためには、次の3つの統制が必要である。
① 手続の透明性
判断のプロセスが理解可能であること。
すべてを公開する必要はないが、
判断の論理は把握可能でなければならない。
② 理由提示義務
判断には理由が付されなければならない。
その理由は、
- 具体的であり
- 関連性があり
- 理解可能である
必要がある。
理由のない裁量は、恣意と区別できない。
③ 一貫性の確保メカニズム
同様の事案が同様に扱われる仕組みが必要である。
そのためには、
- 事例比較の枠組み
- 内部レビュー
- 判断の蓄積
が不可欠である。
一貫性は自然には生まれない。
制度的に作られるものである。
6. 裁量と説明可能性
これらの統制は、次の原則に収束する。
裁量は説明可能でなければならない。
説明可能性は裁量を排除するものではない。
それを責任あるものにする仕組みである。
これにより、
- 柔軟性は維持され
- 信頼は確保される
7. 入管行政への含意
現実の入管行政においては、裁量は広く認められている一方で、
その構造化は十分とはいえない。
その結果、
- 判断は恣意的に見え
- 結果は予測しにくく
- 信頼は低下する
信頼の回復に必要なのは、裁量の縮小ではない。
裁量の可視化と理由付け、そして一貫性の確保である。
8. 補論:説明と統制の緊張
判断理由を説明することは、審査官の自由を制約し、
制度の悪用を招くのではないかという懸念がある。
しかし、
- 説明なき裁量は濫用を招き
- 境界なき説明は制度の形骸化を招く
必要なのは二者択一ではない。
制御された説明可能性の設計である。
9. 判断過程に基づく統治へ
最も重要な点は次のとおりである。
信頼は、どのような判断がなされたかではなく、
どのように判断されたかによって決まる。
裁量を透明性・理由提示・一貫性によって構造化することで、
それは不信の源泉から信頼の構成要素へと転換される。
※本稿は、均衡共生モデルにおける目次を構成する章に位置付けています。