入管行政に対する不信の多くは、「結果」そのものよりも、「なぜそうなったのかが分からない」という点に起因している。
不許可であった。更新が認められなかった。あるいは、理由が曖昧なまま長期間審査が続く。
こうした状況に直面したとき、当事者は制度に対して疑念を抱く。
しかし、ここで重要なのは、すべての判断が誤っているから不信が生じるのではない、という点である。
むしろ、「判断の過程が見えない」ことこそが、不信の最大の原因である。
均衡共生モデルにおいて、この問題は「説明可能性(Explainability)」という概念によって捉え直されるべきである。
説明可能性は「透明性」とは異なる
説明可能性という言葉は、しばしば「情報公開」と同義に理解される。
しかし、両者は本質的に異なる。
透明性とは、情報そのものを開示することである。
一方、説明可能性とは、「判断の構造を理解可能な形で提示すること」である。
入管行政においては、すべての内部資料や審査基準を完全に公開することは現実的ではない。
国家安全保障、外交関係、制度の濫用防止といった観点から、一定の非公開性は不可避である。
実際、出入国在留管理庁が用いる審査要領や内部基準には、公開されていない部分が存在する。
また、各国の難民認定においても、判断に用いられる情報の一部が非公開とされる例は少なくない。
したがって、問題は「非公開であること」それ自体ではない。
問題は、「非公開であるがゆえに、判断が恣意的に見えてしまうこと」である。
「説明可能なブラックボックス」という設計
ここで必要となるのが、「説明可能なブラックボックス」という考え方である。
すべてを開示することはできない。
しかし、何も説明しないことは許されない。
この二つの制約の間に立ち、制度は次のような設計を目指すべきである。
判断に至る評価項目の存在は明らかにする
どの要素がどのように重視されるかの方向性は示す
個別事案において、どの点が評価され、どの点が問題となったのかを説明する
これにより、具体的な基準や情報源を完全に開示せずとも、当事者は「なぜその結論に至ったのか」を理解することができる。
これは、いわば「完全な透明性」ではなく、「理解可能性としての透明性」である。
日本の制度が持つ潜在的強み
この点において、日本の行政法には重要な資産が存在する。
それが、「実体的判断過程統制審査」という考え方である。
これは、行政庁の裁量判断について、その結論だけでなく、判断に至る過程が合理的であったかを検証する枠組みである。
すなわち、「どのように考えたのか」が審査の対象となる。
この発想は、説明可能性と極めて親和的である。
さらに、日本法における「公定力」の概念も重要である。
行政行為は一応有効なものとして扱われるが、その正当性は説明責任と不可分である。
もし判断過程が不透明であれば、公定力は単なる権力の押し付けとして受け止められてしまう。
逆に、判断過程が説明可能であれば、公定力は制度への信頼として機能する。
ここに、均衡共生モデルが重視する「信頼インフラ」としての行政の姿がある。
説明可能性は社会統合の基盤である
在留外国人にとって、入管行政は単なる手続ではない。
それは、自らの生活の安定、将来の見通し、そして社会への帰属意識に直結する制度である。
判断の理由が理解できるとき、人はその結果を受け入れる余地を持つ。
たとえ不利な結果であったとしてもである。
しかし、理由が分からないとき、人は制度そのものを疑う。
そしてその不信は、社会全体への不信へと拡張していく。
したがって、説明可能性は単なる行政技術ではない。
それは、社会統合を支える基盤である。
結語:信頼は「設計」される
均衡共生モデルは、移民政策を感情や理念だけでなく、制度設計として捉える。
その中核にあるのが、「信頼は設計される」という発想である。
説明可能性は、そのための最も重要な要素の一つである。
透明性でも、厳格さでもない。
「理解できること」こそが、信頼を生む。
入管行政が、説明可能な制度として再設計されるとき、
それは単に批判を減らすためではなく、
社会全体の安定と共生を支えるインフラへと転換する。
それこそが、均衡共生モデルが目指す制度の姿である。